に、なりましたので

どんな時でも、身近に文章を

家族と友達と他人と、わたし

 

 

家族といる私。

友達といる私。

他人といる私。

 

家族と友達と他人を分けるものはなんだろう。

 

他の繋がり?時間の共有?

何をもって、家族になり、友達になり、他人になるのか。

 

他人と家族の違いとは。

私が今過ごしている家族も、生まれた子が私というアイデンティティを持っていなくても家族として扱う。

 

そうなれば、私は他の家族の中に過ごしていた可能性もある。

 

その家族とは今、他人として接している。

 

たまに、隣人を愛せという言葉を思い出す。

私はこの言葉が好きだ。

 

遠いアフリカの国の貧困のことを真剣に悩み、ボランティアをして助けようとすることも大事だと思うけれど、今、生きている国にも困っている人がいる。だけど、そこには目を向けようとしない。

その人を下に見て安心したいる人もいるし、同じ国、同じ言語を話していた下に見ていた人が世間的に成功した時に、純粋に喜ぶことができるのだろうか。

遠い国の人には手を差し伸べることができるけれど、身近な人には優しくできない。

そんな人もいると思っている。

 

その、下に見ている人も家族だった世界線があるかもしれないのに。

どこかで人はつながっていると思う。

家族の幸せを願うことはできるのに、職場や学校の人にきつくあたったり嫌な思いをさせたり、そんな矛盾している行動をしている人も多いと思う。

 

きつく当たられている人が、家族の好きな人だったら、そんなことを続けることができるのだろうか。

 

なぜ、家族を思う大切な気持ちを、他の人に使うことができないのか。

 

 

ということを、考える帰り道。

まとまってないこと、答えがないことを考えるのは楽し〜。