に、なりましたので

どんな時でも、身近に文章を

違う考え方

 

パートナーお別れしてから随分と経つ。

その間寂しくなかったと言うと嘘になってしまう。

それでも友達と過ごしたり仕事や勉強をしている時間は充実しており、誰かと付き合いたいと思う気持ちは薄らいでいた。

 

付き合いたいと言う気持ちはあるけれど、

自分のフィーリングを無視してでも誰かと付き合いたいと言う気持ちはない。

 

それでも私の年齢になると周りの独身の友人たちは彼氏や結婚していないことに焦りが出てくるのか、その話題で持ちきりになる。

 

付き合いたい気持ちもあるので付き合いたいね等の話をすることは、苦痛ではないけれど、パートナーがいないことで自己嫌悪に陥っている友人と話すと悲しく・苦しくなる。

 

パートナーがいないというだけであなたの価値が下がるわけでもないのに。なぜそんなにいないという現状を受け入れることができないのか。

 

私は私が好きだから、

パートナーがいない現状を楽しんでいる。

だけれども、今の年齢でパートナーがいなければ"一人は寂しいと思っているに違いない、パートナーがほしいという思いがあるけれどいない"というレッテルを貼られてしまうし、パートナーがいる友人からはその憐れみのような感情を与えられる。

 

私はこの現状を受け入れて楽しんでいるのに、、、、。

そもそもパートナーがいないというだけで、心配や憐れみを受ける意味がわからない。

 

これを友人たちに話しても強がっていると捉えられたので、この先再度伝えることはないだろう。

 

憐れみを与える人たちはパートナーがいないことで、人生のマイナスだと思っているのかもしれないけれど、そうではない人もいるということをいつか知ってもらえれば嬉しい。

 

これは強がりでもなく。本音。

 

私は、敬愛する家族がいて、親愛なる友人に囲まれ、愛するパートナーがいても孤独感を強く持っているので寂しい。

 

私はそれを受け入れている。